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【技術解説】スチレンの人体に対する有害性

パナ・ケミカルの技術顧問を務めさせて頂いています技術士の本堀です。

 

さて、発泡スチロール(EPS)のマテリアルリサイクルを行うには、まず「減容化」という処理を行う必要があります。

 

減容化とは、読んで字の如く体積(容積)を減らす作業なのですが、原理的には「発泡スチロールに含まれる空気などの気体成分と固体成分であるポリスチレンを分離する作業」と言えます。

 

具体的には、電熱ヒーターによる加熱や回転盤との接触で生じる摩擦熱を利用して、発泡スチロール中で隔壁を構成するポリスチレン(PS)を軟化する事により、気体成分を追い出す事が行われます。

 

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このポリスチレンの軟化課程においては、加えられた熱エネルギーの影響でポリスチレンの熱分解解重合機械的分解(メカノケミカル分解)等の化学反応が起こる事で様々なガス(気体)成分が発生します。

 

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加熱条件にもよりますが、特に多く発生するのがポリスチレンのモノマーである「スチレン(St)」という物質です。

 

スチレンは、ベンゼンの水素原子の一つがビニル基に置換した構造を有する芳香族化合物の一種であり、“都市ガスの様な臭い”がします。

 

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ポリスチレンの成形工場やスチレンを架橋剤として用いるFRP成形工場へ行くと、この独特の臭いがする事が多いのですが、ハッキリ言って嫌な臭いです。

 

発泡スチロールの減容処理においても熱分解により生じたスチレン臭がする事が多いのですが、時折、処理場の作業者の方々から「この臭いは体に良くないのかね?」と聞かれる事があります。

 

そこで今回は、「スチレンという物質の人体に対する有害性」についてお話しさせて頂きます。

 

実はスチレンの人体への有害性については様々な見解がありまして、臨床の現場で報告される症例も様々なものが報告されています。

 

主なものを下表に示します。

 

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一般的な毒性としては、長期間の曝露により、消化機能の低下や胃酸のpHの上昇が見られたケースが報告されています。

 

また、ガス状のスチレンには眼や咽喉、鼻への刺激性がありまして、長期間の吸入曝露により慢性気管支炎、閉塞性肺障害等を引き起こす事があります。

 

そのため、FRPの成形などスチレンそのものを扱うときには、作業者が保護メガネ吸気マスクなどを用いたり、工場内に局所排気装置全体換気装置を設置したりする事で、作業者の目や鼻、咽喉への曝露を防ぐ事になります。

 

そして、特に注意を要するのは、「生殖毒性」「発がん性」です。

 

生殖毒性とは、「男女両性の生殖機能に対して有害な影響を及ぼす作用または次世代児に対して有害な影響を及ぼす作用」と定義されます(日本産業衛生学会の定義)。

 

女性においては、妊孕性、妊娠、出産、授乳への影響など、男性では、受精能への影響等を示しています。

 

また次世代児では、出生前曝露による、または、乳汁移行により授乳を介した曝露で生じる、胚・胎児の発生・発育への影響、催奇形性、乳児の発育への影響とし、離乳後の発育、行動、機能、性成熟、発がん、老化促進などへの影響が明確な場合にも、生殖毒性として考慮するとされています。

 

スチレンの生殖毒性については、曝露により、自然流産発生比が増加したり、出生児数の減少が見られたりしたなどの報告があるのですが、スチレンの曝露量とこれらの症例の間の相関性に関する十分なデータは未だに得られていません。

 

日本産業衛生学会では、生殖毒性物質を以下の様に、第1群、第2群、第3群に分類しています。

 

第1群: ヒトに対して生殖毒性を示すことが知られている物質

第2群: ヒトに対しておそらく生殖毒性を示すと判断される物質

第3群:ヒトに対する生殖毒性の疑いがある物質

 

スチレンに関しては、動物実験などの結果から、恐らくヒトにも同様に生殖毒性があると判断されており、第2群に分類されています。

 

故に現在の所、スチレンにはヒトに対しての生殖毒性を発現する可能性を十分に踏まえておく必要があると言えます。

 

さて、もう一つ重要な毒性である「発がん性」についてですが、こちらについては見解が分かれています。

 

スチレンの曝露により、リンパ系や造血系の腫瘍、白血病の発症例が報告されているのですが、実際にスチレンが発がんの原因であるとの十分な根拠が得られているとは言い難い部分があります。

 

そのため、スチレンの発がん性に関する評価は研究機関によって異なります。

 

例えば、「国際がん研究機関(IARC)」の発がん性分類では、スチレンは「ヒトに対して発がん性がある可能性がある」という「グループ2B」に分類されています。

 

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ところが、「米国産業衛生専門官会議(ACGIH)」では、スチレンの発がん性に関し、発がん性がない物質」という「A4」というグループに分類されています。

 

この様にスチレンの人体への有害性に関しては、未だに明らかになっていない部分もあるのですが、“念のため”生殖毒性や発がん性も含めて念のため曝露対策を十分に講じておく必要があります

 

事実、これらの有害性評価に基づき、我が国の法令ではスチレンを有害な物質と位置づけ、規制が設けられています

 

下表にスチレンに関する主な法規制を示します。

 

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特に重要なのは、労働関係の法令でありまして、労働安全衛生法では作業環境における管理濃度を20ppmと定めています

 

この管理濃度は日本産業衛生学会の勧告を基に設定されているのですが、従来は50ppmであったものが、20ppmに引き下げられた経緯があります。

 

これは先に述べた生殖毒性や発がん性に関する懸念が増したためであります。

 

2014年には、労働安全衛生法施行令等の一部変更に伴い、スチレンが従来の「有機溶剤」としての扱いから、「特定化学物質(特別管理物質)」へ移行となり、発がん性を踏まえた措置が義務付けられました。

 

健康診断記録や作業環境測定記録の保存が30年に延長されたり、特定化学物質取扱作業主任者の選任が必要になったり、規制内容が大きく変更・強化されました。

 

また、同時に女性労働基準規則(女性則)も変更され、作業環境中におけるスチレンの濃度の平均が管理濃度を超える状態(いわゆる「第3管理区分」)にある作業場においては女性労働者の就業は禁止されるに至りました。

 

これは妊娠、出産、授乳などの可能性がある女性に対するスチレンの生殖毒性の発現に留意した措置であります。

 

ここまでお話ししました様に、スチレンには人体に対する有害性があると言えます。

 

しかし、発泡スチロールのリサイクル工程におけるスチレンの発生は、熱分解という副次的な要因であるため、減容装置に付属された脱臭装置や、工場に設けられた全体換気によって速やかに除去する事が可能であるケースが多く、人体への直接的な影響は非常に小さいと思われます。

 

しかし、脱臭装置のメンテナンスが不十分であったりすると、スチレンが作業環境に飛散する事になり、作業者の健康に悪影響を及ぼす可能性があります。

 

スチレンの測定法(作業環境測定)には、簡易な検知管方式を用いる事が可能でありますので、余裕のある方は定期的に測定する事ができると良いと思います(この方法についてはいずれ、この会員ページでも紹介させて頂く予定です)。

 

いずれにせよ、安全かつ衛生的に処理作業を進めるためには、作業場で発生する化学物質に関する正しい知識を作業者に知って頂き、適切な衛生工学的な対策を講じていく事が大切です。

 

 
 
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